無能力者かずまんJPの人生やり直し日記

金なし、職なし、スキルなし——。三重苦を抱えた道徳的劣等生、真面目系クズの無能力者が、人生やり直しのため本気で活動していく日常を発信

無能力者かずまんJPのプロフィール

はじめまして

 

私はこの度、

人生のやり直しに関する情報発信をテーマとしたブログを開設しました。

 

まずは、簡単な自己紹介をさせていただきます

 

私の名前はかずまんJPと申します。

 

 金なし、職なし、スキルなし——。の三重苦を抱えた真面目系クズ、道徳的劣等生の無能力者でございます。

 

ここでは、私の生い立ちや今までの活動を振り返りながら、どんな信念を持って生きてきたのか、一体これから何を目指しているのかを綴っていきます。

 

しばし、お時間をいただけないでしょうか?

 

3366 gの元気な男の子

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私は97年、都下近郊都市の場末、

その一角に居を構えていた一家の末っ子長男として生誕しました。

 

母子健康手帳を見返すと、

 

「 生まれたときの状態(赤ちゃんのお誕生の記念に記入しておきましょう。)    

    体重:3366 g 身長:51.8 cm 胸囲:33 cm 頭囲:35 cm                             

 

と記されていました。

 

我が国における赤ちゃんの出生体重が大体3 kgくらいですので、ごくごく平均的な3366 gの元気な男の子でした。

 

この母子手帳、改めて見るとなかなか面白いものです。

 

赤ちゃんへの一言メッセージや誕生した際の両親の気持ちを記すための欄は空白であったので、少々がっかりしましたが、妊娠中の経過や分娩の所要時間、初乳が与えられたタイミングといった事柄が細かく書かれていました。

 

朧気にも記憶が全くない自分にとっては新鮮で、当時の様相を想像すると不思議と温かい優しさに包まれたような感覚を覚えるのです。

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97年の世相といえば、戦争の世紀と言われた二十世紀が終わりを迎えつつあった頃で、新たな千年紀を目前に控えていました。

 

また、インターネットの普及やPC・携帯電話等の小型化といった情報通信技術の発展が進み、来たる明るい新時代の幕開けを予感して人々が期待に胸を踊らせていたのです。

 

一方で、日本においては誠に混迷を極めた年でもあります。

 

今やすっかり年末の風物詩となった日本漢字能力検定協会が発表している「今年の漢字」でありますが、この年においては「倒れる」の「倒」が選ばれました。

 

その字の如く、バブル崩壊の煽りを受けて、日本有数の金融機関や大企業の経営破綻が相次いで発生したのです。

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こうした暗い社会情勢を反映してか、巷ではもともとは単に一世紀の終わりを意味していた「世紀末」と、仏教の末法思想において説かれた、道徳や倫理が崩壊し、社会が荒廃しきった時代を表す「末世」が結び付いてオカルトな終末論が流行します。

 

73年発行の『ノストラダムの大予言』において示唆され、広く知られた「恐怖の大王」による人類滅亡の言説は、この最も有名なもののひとつで、90年代には数多くの関連書籍が出版されました。

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ミシェル・ノストラダムス(Michel Nostradamus、1503年12月14日 - 1566年7月2日)

そしてその他の、核戦争や環境変動による壊滅的被害を受けて滅亡寸前の人類を描いたフィクション作品や、テレビのバラエティ番組で頻繁に組まれたオカルト特集の隆盛が「二十世紀末=世界滅亡」という風説を助長します。

 

とはいえ、当時を知らない私からすれば、そのような一見すると馬鹿馬鹿しいオカルトブームが駆け巡っていたこの時代の雰囲気は羨ましく思えます。

 

何故なら、その時に各媒体を通して飛び交っていた様々な都市伝説や終末論を人々が本気で信じていたとは思えないからであります。

 

言い換えれば、世間の暗さを娯楽として楽しむ余裕があった時代だったのでしょう。

 

実際、両親に当時の回想をしてもらったところ、「景気は下降気味だったけど『頑張ればまた好景気が来る』って空気だったから、明るさはあったよ」といった言葉が帰ってきました。

 

確かに、90年代初頭にバブルが弾けて以来、経済は停滞していたものの、文化芸術・スポーツ・エンターテイメント・科学技術等の側面ではまだまだ明るいニュースばかりで、多くの人が希望を失っていなかったことが窺えます。

 

好景気に沸き、活気に満ち溢れた頃の日本の余香が漂う、そんな時代に私は生を受けたのです。

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小さくて、細くて、色の白い子

 

人に、「自分の中に残っている最も古い記憶は、いつ頃のものですか?」と尋ねると、基本的に皆様3歳から4歳時のものであると回答するようです。

 

ご多分に漏れず、私も3歳以後の記憶しか残っておりません。

それ以前のエピソードを、それを知る人から聞かせられても全くと言っていいほど思い出せません。

 

「幼児期健忘」といって、一般的にありふれた現象だということですが、いささか残念な気もします。

 

さて、この幼少期における私の特徴を短い言葉で表すならば、小さくて、細くて、色の白い子、といったところでしょうか。

 

今でこそ、成人の平均より高い身長までに成長しましたが、当時は早生まれということもあってか、周りの子たちに比べて一段と体格が小さくて、細く華奢でした。

 

これはその後も長く尾を引いて、高校に進学する時期くらいまで、背の順に並べば常に先頭かその付近の行ったり来たりを繰り返しておりました。

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また、近所から少し離れた市内の幼稚園にバスで登園していたのですが、生来病弱で体調不良を理由に頻繁に休んでいたことを記憶しています。

 

この頃の私は、まだ右も左も分からないような年端もゆかぬ幼な子で、ましてや「自分が周りからどう見られているか?」ということなんて、明瞭には認識できません。

 

それでも、今なお昨日のことのように思い出される場景があります。

 

その園では、休み時間を除いて常に円卓を囲った班ごとに、授業や昼食の時間を過ごすことを強いられていました。

 

つまり、「誰と卓を囲うのか」が、幼稚園生活の質を決める大事な要素だったわけです。

 

ですから、班員の定期的なシャッフル、すなわち席替えは園児たちにとって一大イベントでした。

 

自分の中では、特段に仲の良い子も悪い子も、いた記憶はありません。

 

休み時間も、たまたま目についた集まりの輪へなんとはなしに入っていって、毎日やり過ごしていました。

 

なので、席替えに対して、大きな期待も、強い不満も抱いてはいませんでした。

 

年長の折、その日もいつも通りくじ引きでの席替えが行われました。

 

私も促されるがままにくじを引いて番号を確認し、それに該当する席のある卓へと歩を進めます。

 

近づいてみると、そこは私の席以外は既に埋まっていて、班に加わる最後の一人が私でありました。

 

そっか、ここが新しい席か~。

 

なんて思いながら、着席しようとしたその瞬間、班員の一人、クラスでも屈指の腕白ボーイで目立っていた男児、その彼が私を見るなり、

 

「え~やだ!」

 

とにべもなく大声で言い放ったのです。

 

私は動揺しました。

彼とは同じクラスではあるものの、関わりは皆無で、そのような言葉を投げかけられる筋合いもなく、予想外の反応でした。

 

皆の前で自らの価値を毀損され、辱められた。

そんな風に捉えて酷く傷つきました。

 

すかさず、先生が彼を窘めました。

 

何故なら、どんな子と一緒になっても決して面罵してはいけない、そういうルールがあったからです。

 

けれども、その叱り方も、またどうにもおざなりで、

 

『こんな子』とも仲良くしないとダメよ」

 

そんな風な物言いでございました。

 

1ミリだって救われた気がしません。

むしろ、モヤモヤとした気持ちをさらに複雑にさせただけ。

 

どうやら、自分に対する周りの評価というものは、「そういうもの」だったようなのです。

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影が薄い、「おみそ」なあの子

ほどなくして、私は卒園を迎え、地元の小学校に入学いたします。

 

「足の速い子がモテる」、というのは小学校時代におけるお決まりでしょう。

とはいえ、私は小さいながらも足は遅くなく、むしろ細くて身軽だったのが功を奏したのか、運動会のリレー選手に抜擢されるくらいには俊足でした。

 

しかし、それでも、ちっともモテはしませんでした。

結局のところ、「足の速い子がモテる」というのは少々説明不足な謳い文句なのです。

 

正しくは「運動神経が良くて、学校におけるヒエラルキーの上層に位置する者がモテる」と言い表すべきであります。

 

思い返せば、私以外の足の速い子たちは何かしらのスポーツに打ち込んでいる子ばかりでした。

 

少年野球団やサッカークラブといった団体に所属しているのはその典型で、彼らは学校の体育の授業や休み時間の遊戯においても類い稀なる運動神経を遺憾無く発揮しておりました。

 

男女混合で行われるような競技、例えばドッジボールにおいて、前面でポジショニングをしながら、相手方が投げた球を華麗にキャッチして素早く反撃に転じたり、バスケットボールにおいて、立ちはだかる敵を颯爽と抜き去ってシュートを決めたりだとか……

 

彼らがヒーローになる場面は枚挙に暇がないのです。

 

一方で私自身といえば、幼稚園の年少時代からスイミングスクールに通ってはいました。

けれども、そこで特待生を目指すとか、大会出場を目指すとかいった、何か目標を立てて取り組んでいたわけではありません。

 

ただのほほんと、さながらジュゴンのように水の中を漂っていたものですから、陸の上ではあまり役立ちませんでした。

 

むしろ、球技はからっきし駄目でしたので、ついぞ体育の授業や休み時間における輝く成功体験といったものを味わうことはなかったのです。

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また、この時期の子ども達(特に男児において顕著な傾向が見られるように思われますが)にとっては「力こそ正義である」という側面も少なからず存在しました。

休み時間や放課後はおろか、授業中においてですら、子ども達は腕相撲や手押し相撲などで己の腕力を他と競わせます。

 

さらには、些細な言い争い——それも内容は取るに足らないようなきっかけから、取っ組み合いの喧嘩に発展します。

その結果、勝った方が全面的に正しいといったジャイアニズムの世界に生きる者達さえいたのです。

 

今を生きる少年少女らには考えられないことかもしれませんが、当時、年上の不良中学生連中と付き合っていた、いわゆる悪ガキと呼ばれる属性の子たちの間では、自転車の「ニケツ」は日常の行為です。

 

また、バイクの「タンデムグリップ」を模して、荷台の後端を鋭角に曲げたり、アメリカンのハンドルをモチーフにハンドルを上方に傾けるといった「改造チャリンコ」がクールでかっこいいとされていました。

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その頃、私もそういった子たちの言われるがままに、自転車の荷台に同様の改造を施してもらいましたが、内心では「これのどこがかっこいいのか意味不明だ」と独白していたものです。

 

しかし、私は柔で貧弱な身体の持ち主でしたので、そんなことを思っていても、おくびにも出せませんでした。

上述の力比べに関しても、明らかに見た目の上で劣っていた私は、そういった「大会」に出場する子たちにとっては埒外の存在であって、俗に言う「おみそ」としてみなされていたのです。

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そんな体たらくでしたから、学校における私のプレゼンスは微々たるもの。

 

小学校も高学年になると、皆一様に色気づいてきて、「誰それが好き」だとか「あの子がお前のこと好きらしいぞ」とかいった、色恋に関する会話や噂が飛び交います。

 

そういうお年頃らしく、私の所属していた学級でも、「かっこいい男子とかわいい女子ランキング」あるいは「面白い人ランキング」みたいな、いわゆる「格付け」が流行っていました。

 

休み時間や授業中の手紙回しなどで投票され、順位が決定していきます。

 

その形式は様々で、投票者が男子・女子限定であったり、また、ベストランキングのみならず、ワーストランキングも時に組まれることがありました。

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これら「格付け」を催すのは、専ら自分に自信があるような人たちで、その自尊心を満たすための確証を得たいがために、というのが大半の動機だったように思えます。

 

また、集計の過程はブラックボックスで、彼らの手中に収まっていることが多く、結果も精々、五指に入った者が「〇〇だったよ~」といった具合に伝聞する程度でした。

 

そんな中、学年でも一際目立っていて、主導権を握っていた女子グループが、クラス替えを機に教室内の男子へ序列を付すことにしたそうなのです。

 

そして、彼女らは休憩を利用してリストの作成に取り掛かりました。

 

たまさか、そのグループに混じって力を貸していた男子がいました。

 

そんな彼が、休み時間中、ニヤニヤとした顔つきで私に近づき、こう言ってきました。

 

——でさ、〇〇たちがリスト作るの手助けしてたんだけど、クラスの人数的に、最後の一人の名前がなかったのよ。

みんな必死に思い出そうとしてたんだけど、全然浮かんでこないわけ!

そしたら、それ、お前のことだったわww

 

さて、そのランキングの結果がどうであったのか、私には知る由もないし、知りたくもありません。

 

けれど、どんなに厭き厭きしていても、「品定めの波」は止むことなく押し寄せます。

 

嫌でも耳に入ってくる周りの声によれば、私は「影が薄い、『おみそ』なあの子」なのでございました。

 

児童期の終わり

永遠に続くかのように感じられた小学校生活も、ついに終わりを迎えつつありました。

 

そして、いよいよ中学生になろうという頃、私は受験を経て地元から離れた私立中学に進学することとなります。

 

ただ、この受験について、私は相当に強硬な反対の立場を示していたのです。

というのも、小学生時代、私は家庭の諸事情もあって学外において生まれ育った街を離れる機会がほとんどありませんでした。

 

旅先でのキャンプやフィッシング、カヌー・カヤック等を楽しむといったアウトドアなアクティビティが我が家ではほとんどなかったので、そのようなイベントの体験を周囲に自慢していたクラスメイト達を羨ましく思っていました。

 

中でも、海外旅行は大の憧れでした。

長期休みにハワイやサイパン・グアムといったリゾート地で遊び回って肌を焼いて来た子たちが配り歩いていたギラついた色づきの甘味が濃厚なお菓子や精巧でエスニックな工芸品には目を奪われたものです。

 

よく、夏休みが終わった二学期の初めに、お休み中に行った自由研究の成果だったり、ジャンルを問わない何かしらの挑戦の結果を発表するような場を、皆様の学校においても設けられなかったでしょうか。

 

私といえば、夏期休暇中は専ら母親の実家に長逗留して、叔父の家族のお世話になるのが常でした。

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日がな一日、従兄弟たちと、当時子どもに大人気だった「大乱闘スマッシュブラザーズDX」や「カービィのエアライド」といったゲームソフトを回して、ぐでぐでとテレビゲームに耽っていました。

 

そんな毎日が主でしたから、当然に新奇なエピソードを得られる機会はそう多くはありません。

 

今にして思えば、周りも個々に目新しさなんて求めてはいなかったのですが、ついつい隣の芝生は青く見えるものです。

あがり症であった事も拍車を掛けて、毎年その時期の発表は億劫な気持ちで臨んでいたことを覚えております。

 

もちろん、祖父母の家で過ごした日々は、今なお自分の中で大切な思い出として輝いています。

 

例えば、畦道や用水路でアマガエルやトカゲ、ヤゴ、トンボ等を捕獲したり、カブトムシ、クワガタを目当てに木の幹を揺らしてセミにおしっこを掛けられて絶叫したり、あるいは水田から採れた餅米をついてあんころ餅を自作したり……

 

さらに、叔父はアウトドアな趣味を持っていた方だったので、分け隔てなく一家に私を加えて色々な場所に連れていってもらっていました。

人生初の魚釣りやキャンプでの焚き火を経験したのも、この時期のことです。

 

そうした自然との触れ合いが私の人格形成の一助となったことは間違いありません。

 

私が大好きだったテレビゲーム「ぼくのなつやすみ2」の言葉を借りるならば、あの夏の日々はまさしく「毎日が宝石だった。」と言えるのです。

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ただ、従兄弟たちや叔父夫婦といった親類縁者が自分に親しくしてくれるということは一般的には妥当なことでした。

 

本当の意味での外——すなわち全く未知らぬ土地で、新しく出会った人々と共同作業を行うといったような、真の「夏休みの冒険」を成し遂げたことは無かったのであります。

 

言ってしまえば、この時点での私のコミュニケーション能力や適応力は極めて低い状態だったのです。

 

当時の私はそう断じられるほど、自分を客観視できてはいませんでしたが、それでも、今までの色々からなんとなく、自覚はしていました。

 

だからこそ、新しい環境でとても苦労する兆しを感じ取り、受験に関しては両親に対し、強く抗議していたのです。

 

未知との遭遇

最初はもちろん抵抗しました。

 

不本意の内に連れていかれた塾も、勉強も、全てが嫌でした。

 

地元の友だちと公園で遊びたい。

早く家に帰ってDSのゲームをしたい。

 

そんなことばかり思って、上の空で講義を聞いていました。

 

とはいえ、塾通いもしばらくすると同じ境遇の仲間ができてきます。

彼らと切磋琢磨していったことで、通うことに関しては次第に苦痛ではなくなりました。

 

さらに、授業の内容を面白く、分かり易く教えて下さる講師の方々からの温かい応援もあって、段々と勉強も乗り気になっていきました。

 

それに、親からの期待という重圧に不真面目で応えるほどの勇気は自分にはなかったので、なんだかんだ試験本番は真剣に問題を解いたのを覚えています。

 

その結果、見事に合格し、晴れて入学するという運びになったのです。

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今でも、途中から意欲的になっていったとはいえ、最初からやる気があって努力していた子たちに比べて、普段の成績がそれほど高かったわけではないのに、試験を通過できたことは不思議に思います。

 

穿った見方をすれば、目下、物議を醸している都立高校の男女別定員制のように、男子たる私は下駄を履かされていたのではないかと思うのです。

 

中学生以上に、児童期における男女の学力差は大きいという話を聞きます。

 

その証拠に、進学後の私はガクンと学力を落とし、著しい低成績を叩き出しました。

特に数学は初っ端の『正負の数』の単元からつまずくほどでした。

 

もちろん、これはあくまで私の推測にしか過ぎません。

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中学校における授業内容の難しさに面食らったのもさることながら、さらに不味かったのは、入学前に抱いていた予感が的中し、疑念が確信に変わってしまったことです。

 

思い起こせば、私は物心ついた時から周りに誰か助けてくれる人がいるのが当たり前の環境で育ちました。

 

家庭内や何かしらの集まりにおいても常に年少の側でしたので、人に何かをしてもらうことが前提としてあって、他力本願というよりも、むしろ積極的になる必要がなかったのです。

 

いわば井の中の、まだ手足も生えていないオタマジャクシのような存在でしたから、大海にいきなり放流されれば、その荒波に右往左往するのは当然の帰結でした。

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言葉を通じ合わせる、コミュニケーションとは、単に共通の言語を用いて無感情な情報伝達を行うことに留まりません。

 

お互いに心を寄せ合い、価値観や考え方を共有し、その相違と一致を楽しむことが真の意味でのコミュニケーションと言えるのです。

 

 

「そんなの当たり前だ」と、余人は言い切るでしょう。

しかし、これは自分にとって難しかったのです。

 

これまで、偶然にも同じ歳次に生まれ、同じ街に住んでいた子たち——言うなれば自分とそう変わらない存在と過ごしていて、さしてそんなことは意識していませんでした。

 

その子たちとの邂逅も、丁目でのグループ分けによる集団登下校といった、親や周りの大人たちから図られた半強制のコミュニケーションによるものでした。

 

塾においても、仲良くなったきっかけは講師からのフォローや、向こうからの声かけがあってこそでした。

 

つまり、私はいつも、危ういバランスを保ちながら、寸前のところで孤立を免れていたのです。

 

ですから、地元から離れ、外海に身を置いてみて初めて、自己と他者との境界線、彼我の相違と心の距離が浮き彫りになります。

 

中学に進学した際、私は今までに自分とは全く違う景色を見てきた異郷の子らと如何にして心を通わせるのか、という試練に直面しました。

 

つまり、どうやら私はそこで、未知との遭遇を果たしたようなのです。

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とある劣等生と無能力の自覚 

「充実した学校生活」、という文言の定義は誠に多種多様でございます。

勉学やスポーツに取り組んだり、あるいは文化芸術系の活動に精を出したりと、青春はまさに十人十色の輝きを放つものです。

 

ただ、世間一般に想起されるような、あれやこれやのアオハル的なイベント——例えば、部活帰りに男女グループで夏祭りや花火大会の鑑賞に洒落込むだとか、「耳すま」よろしくカップルで「逆走・無灯火・二人乗り」の三拍子揃った無謀な自転車走行を決行したりだとか……

f:id:KazumanJP_21_Re:20211008134637j:plainそのような体験を青春の一ページに刻みたいとお考えの、今をときめく10代の皆々様に声を大にして言いたいのは、兎にも角にも「最初が肝心である」ということです。

 

初動を誤れば、そうしたストーリー展開のためのフラグは立ちません。

その点においてはあまり冴えない学校生活を送ることになってしまいます。

 

何故なら、人間は「自分がしたいと思っていること」を実行に移す前に、「自分が何者であるか」という認識の制約に縛られるからであります。

 

私といえば、その初動を誤ったやつの典型的な失敗例です。

輝かしい未来をお持ちの皆様方には是非とも、他山の石として活かしていただきたいと思います。

 

学期が始まって最初の頃は、それなりに頑張ろうとしてはいました。

ただ、如何せん知力体力ともにお粗末なものでしたから、なかなか上手くは行きませんでした。

  

まず、行き帰りの通学は地獄でした。

大人になった今でもたまに、満員電車では人酔いで軽い吐き気を催すものです。

 

いわんや、この頃の自分にとってはまるで巨人たちが巣食う異世界に迷い込んだ気分で、猛烈な勢いで人波に飲まれるという強烈なストレスに曝されました。

 

毎日毎日、鬱々とした重い足取りで改札口へ入っていったのを覚えております。

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そんな事でしたからその頃、通学中も学校にいる間も常に「早く、長い休み来ないかな」と思うばかりであったのは、やむなしといったところでしょうか。

 

しかし、残酷なことに嫌な時間ほど長く続くのが世の常で、入学してから初めてのGWまでは未来永劫のように感じました。

 

バッドエンドのループにはまったライトノベルの主人公の如く「これがこの先、永遠に繰り返されるのか……。」と嘆き、耐え忍んでおりました。

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ジュニアハイスクールスチューデントであった当時の自分の不甲斐なさを追想するにつけ、今時分の子供たち、特に制服をピシッと着こなして満員電車に乗り込んでくる小学生たちを見ると感服せずにはいられません。

 

「リトルブレイバー」とはまさに君たちのことである、と人知れず心の中で拍手喝采を浴びせるのです。

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そんなこんなで、通学で大幅に体力を削られた後に、待ちに待った授業が始まります。

しかし、当然のことながら右から左に流れて頭には入りません。

 

休み時間もモジモジ君でじっとして動かないものでしたから、ワイワイ賑やかな教室の雰囲気になかなか溶け込めずにいました。

 

さらに悪手だったのが、課外の部活動です。

 

卓球部に入部を決めたのですが、その理由も実に単純で、たまたま近くの席に座っていた子に誘われたこと、また小学校時代のお遊びクラブにおいて卓球クラブに所属していたからでした。

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ここで大誤算だったのが、小学校と違って部活動というものには「ガチ」と「エンジョイ」の二種類があり、私が所属していた部はガチに分類される側であったこと。

 

上下関係が絶対であるのはもちろん、練習は休みなく、試合の応援に少しでも翳りがあれば激しく叱責されたものです。

 

もう記憶も曖昧で具体的なエピソードは思い浮かばないのですが、自分にとっては実に瑣末なことで一喝されることはしょっちゅうで、社会の理不尽さをまざまざと叩きつけられました。

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ただ、今にして思えば、当時の私は甚だ子どもでございました。

子どもというのは良くも悪くも無垢で無神経なものですから、その人格を矯正するために敢えて厳しい態度で指導にあたっていたことは想像に難くありません。

 

実際、入部以前から空手や柔道といった厳格な武道の教室に通っていて、元々スポーツ根性のある体育会系然とした同期の子たちはすんなりと順応して部活動に励んでいきました。

 

敢えて厳しい環境に身を置いて、熾烈な競争を勝ち抜き一番を目指すといった競技への根本的なモチベーションが欠けていた自分にはそもそもがミスマッチであったのです。

 

小学校の放課後、あれほど楽しんでいた卓球がどんどんと苦痛になっていき、結局、一年の後期を待たずして、私は部を去りました。

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その部の顧問がしきりに口にしていた格言というべきか、座右の銘「当たり前のことを当たり前にやる」といったものでした。

 

試合や練習を一生懸命に取り組むのは言わずもがな、その他の生活態度、例えば挨拶や掃除、笑顔を部内外においても徹底し、また学生の本分である勉学においても手を抜かず良好な成績を収めて初めて真っ当な人間であるのだから、そのように努めよ、という意味が込められていました。

 

それにまつわる印象深い出来事があります。

 

部では毎回、活動の開始と終了時に必ず円陣を組んだミーティングが行われます。

 

練習メニューの確認や連絡事項の周知といった内容が主だったものですが、中には小学校の「帰りの会」になぞらえた、日頃の行動に対して各々の反省を促す、あるいは表彰を行うという項目もありました。

 

その日は、上級生の女子部員が話題の中心でした。

 

曰く、とある週末に行われた大会が終わって帰途についたところ、側道に路上ゴミが散乱していて、その様子があまりに汚かったようなのです。

その惨状に見かねた彼女は近くのコンビニに立ち寄ってポリ袋を購入し、他の生徒も引き入れてゴミ拾いを始めた、というお話でした。

 

静聴の後、称賛の嵐が巻き起こり、辺り一面に拍手の音が響き溢れました。

顧問も感心しきりで、このような善行を積んでいくことが巡り巡って試合本番や、この先の人生に良い影響を与え続けていくのだから、君たちもかくあるべし、という訓辞でもってその会を終わらせました。

 

その他大勢が普段、なんとなく目にはついても素通りしてまうことに、明確な気づきを得て、それに対して具体的な行動に移す、あるいは、その行動に呼応して、広く知らしめ周囲を巻き込んでいくような人々は、学校生活の端々において活躍しておりました。

 

私は、然様な方々をまとめて「道徳的優等生」と呼称しています。

 

例えば、体育祭や文化祭などの各行事を中心となって進めたり、またはその準備が皆の怠けが原因で滞っているのを見るや否や、喝を入れて全員に同じ方角を向けさせたりだとか……

 

ちょうど学年やクラスの委員、有力運動部の主将級メンバー、もしくはお笑い系コミュ力お化けといった面々がそれにあたり

彼ら彼女らは持ち前のリーダーシップでクラスメイトを統率していました。

 

いわゆる、その「イケてる面子」に属する生徒たちは、徳の高さに加えて、総じて文武両道・容姿端麗であり、万人に好かれる存在でした。

 

天は無慈悲にも、特定の人間には一物どころか二物、三物と与えるものです。

 

ですから、そういった「道徳的優等生」が学年の教員や部活動の顧問に持て囃され、ロールモデルとして提示されるのはもっともなことでした。

 

それに比して、「イケてない側」の、それも相当な底部に滞留していた私はいかほどのものだったでしょうか。

 

徳を積むどころか、むしろそういった取り組みに関してはどうしても冷笑的に捉えてしまう質でしたから、至極当然に、その後は対極に位置する「道徳的劣等生」としての学校生活を歩んでいくこととなります。

 

さらに滑稽だったのが、部を辞した後でも成績はなかなか上らず、このままでは進級進学すら危ういと、親から叱責される日々が続いたことです。

 

また、その頃には既に学内でのグループが固定化しつつあって、新たに他の部活動へ参加するためのツテもありませんでした。

 

他の帰宅部エンジョイ勢とは一線を画する、完璧なる難民と化し、完全なる孤立に陥ったのです。

 

歯に衣着せぬ言い方をすれば、紛う方なき陰キャ根暗のぼっち」でございました。

 

 

さて、「自分が何者であるか」という認識は他者を通じて、すなわち、ある社会集団と合流した初期段階でおのずと決まっていきます。

 

「『他者という鏡』に映し出された自分の姿」は、一貫した自己像をまだ持たない10代にとって、色濃く脳裏に焼き付くものです。

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その点、私の場合は「真っ当な人間であるための最低条件」、——例えば部活動をやり切るだとか、人並みの成績を維持するとか、あるいは卒なくコミュニケーションを図って友人を作るだとか、そういった諸々の「当たり前」ができない「普通ではないヤツ」、というレッテルを己に貼ってしまったのでございます。

 

これが、私の人生最初に抱いた自らの第一印象であって、この「無能力の自覚」ともいうべき劣等感が当ブログの設立に繋がっていくのです。

 

自意識の自縄自縛

 あの当時、

「できないなら努力して、できるようになればいいだけ」

と、そんな風に前向きに考えられたのなら、それほど苦しまずに過ごせるようになっていったかもしれません。

 

しかし、このコンプレックス、セルフイメージの残像は己の中でますます暴走していき、悪循環を生み出しました。

 

中学校への入学前後、私は過重な勉強かゲームのし過ぎ、はたまた頭蓋骨の成長か、原因は定かではありませんが、急激な視力の悪化に見舞われて、近視用眼鏡の装用を余儀なくされました。

 

同じく視力が悪い方にはわかると思うのですが、近視用眼鏡というものはレンズの凹凸の関係で、外側から見ると目が小さく映ります。

 

しかも、私は比較的強度の近視だったため、眼鏡を掛けてから初めて自分の姿を鏡で確認した際には、その大きなフレームに浮かび上がった不自然なほど小さい目と他の顔面の部位とのあまりの不均衡さに強い違和感を覚えました 

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今でこそ、眼鏡というものは各界のインフルエンサー様方のご尽力や、昨今のフレーム・レンズの低廉化に伴って、おしゃれアイテムとして市民権を得てきています。

 

しかし、この頃はまだ高価で高度な医療器具といった扱いでした。

 

ですから、それを掛けている者はある種の病的というか、「不健康で弱々しい存在である」、そういった色眼鏡で見られていました。

 

もちろん、これは私個人の勝手な偏見であった可能性も無きにしも非ずです。

 

しかし仮に、「人間の価値観や考えは所詮、生まれ育った環境で触れてきた他人の知識の継ぎ接ぎに過ぎない」という哲学的論考が正しいとすると、日本の文化的文脈において眼鏡が「ダサい」の代名詞として用いられる事は確実にあったと言えましょう。

 

その具体例として何かないか、と思い起こし、真っ先に浮かんだものが、漫画作品『ドラえもん』の登場人物、「野比のび太」でありました。

 

「不勉強で要領も悪い、泣き虫のいじめられっ子」という彼のキャラクターを象徴するかの如く、彼の容貌は「痩身矮躯に大きなフレームの丸眼鏡を掛けている」といった姿形で描かれています。

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こういった描写は明らかに、彼の人格が一目でそのようだと理解させるため、あるいは作中における彼の素行の妥当性を強調するために、極めて単純化された記号として使われています。

 

連載開始から約半世紀が経ち、老若男女問わず馴染みの深いものとなった作品においてもそうなのですから、その他の漫画作品は当然として、小説やドラマといった異なる媒体の表現様式においても程度の差こそあれ、同様の描かれ方が見受けられることはさもありなんといった感じであります。

 

ただ、「野比のび太」と私の間には大きな相違点も存在します。

 

作中において彼はそのような短所を抱えながらも強い正義感と思いやりの心を備えていて、時には勇気を奮って危険に立ち向かうといった一面も持ち合わせています。

 

青年になった彼を描いた場面では、その長所が前面に押し出され、結果的に幸せな生活を送ることが示唆されています。

 

一方、「道徳的劣等生」であった私はといえば……

言うまでもないことでしょうか。

 

ですから、悲しいかな、現実には未来から何でも叶えてくれるネコ型ロボットはやって来ません。

 

異世界から悪者が現れ世界と仲間の危機、それを射撃の腕前で打開して世界を救うヒーローになるなんてこともありません。

 

創作の主人公に重ねて妄想の世界に生きても、テレビの電源を切ってしまえば、身の回りの現実は何も変わっていないことに気づくのです。

 

そこにはただ、野暮ったいだけの中学生男子が一人悲しく、暗い画面に映し出されるだけでした。

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外形的特徴からその人の内面や精神性を決めつけてしまうこと、または単にその容姿を貶すといった場面は、誠に残念ですが世にありふれています。

 

私もそのような過ちを犯したことが無いかと問われれば、恥ずかしながら有ると答えざるを得ません。

 

そのような行為を犯した者に、石を投げられる人は果たしてどれほどいらっしゃるのかと考えると、独断と偏見ですが、それほど多くはなかろうかと思うのです。

 

繰り返しになりますが、私はあくまで「真面目系クズの道徳的劣等生」であって、「聖俗」でいえば間違いなく「低俗」に属する人間なのであります。

 

「私自身に対しての」、という話でいうと、そういったステレオタイプにあてはめられ、形貌に関しての悪罵を投げ掛けられるといった経験は、少なくとも学内においては全くありませんでした。

 

私の通っていた学校はそういった類の不義が発見された場合には容赦無く退校処分とする、といったルールが設けられていたので、その点では不幸中の幸いでした。

 

しかし、唯一のよすがであった肉親から、容姿に関して揶揄されることが多々ありました。

 

私自身、自信喪失と自己嫌悪に苛まれていたものですから、それらに対して言い返すことはできなかったのです。

 

ただただ静かに堪え、深く傷付いていきました。

 

そうこうしている内に、最初は単に能力や精神性といった内面にまつわるものだけであった自己評価の対象は、徐々に外見についても派生し、そして自分の存在そのものに向けられました。

 

「醜くて惨め」といった言葉が、自分にぴったりと当てはまるものであると、そういったステレオタイプが自らの中で定まってきてしまったのです。

 

思い返すのも嫌なくらい、当時は辛い日々の連続でございました。

 

「こんな惨めな自分を周りに見せたくない、消えてしまいたい」と、そういった想念が四六時中、頭の中で巡っていて、「誰にも見られることがないこと」が悲劇として扱われる「透明人間」が羨ましく思えるほどでした。

 

そんなわけで、「自分が何者であるか」という問いに対しての答えは、ついに「誰からも認められない、必要とされない存在である」といった哀れなものと成り果てます。

 

そのアイデンティティ——いわば「自意識の自縄自縛」は大蛇の如く私の身体を雁字搦めにして、纏わり付いた縄はそう簡単には解けませんでした。

 

そして始末に悪いのが、そんな風に自虐して「自分はこの程度なんだ」と、殻に閉じこもっておきながら、その実、心の奥底では自分は自分なりに自分のことが好きだったのです。

 

「見られたくない、けど見てほしい」そのような相反する感情、アンビバレンツを胸に抱いていました。

 

「道徳的劣等」で、「無能」で、「醜くて惨め」なこんなやつにも

無条件に全肯定してくれる存在がいつかきっと現れる。

 

そんなみっともない願望を持っていました。

 

しかし、それはあまりにも非現実的で、利己的な自己愛で、救い難いほどに歪んだエゴであります。

 

「そんなの幻想に過ぎない」と分かっていながらも、妄想を止めることはできませんでした。

 

ですから、前々から傾向はありましたが、この時からさらにゲームや小説、漫画・アニメといった媒体を通して、フィクションに没入していきます。

 

二次元でも何次元でも構わない、ここではないどこか遠い世界への逃避行を繰り返すようになりました。

 

しかし、先ほども言った通り、そんなことをしたって現状は何も変わりません。

 

空想とリアルとのあまりの隔たりに、ただ虚しくなっていくだけ。

 

そのギャップに、時には希死念慮さえ浮かぶほど、長く苦しみました。

 

冬来りなば春遠からじ

大なり小なり、思春期の嵐が巻き起こす激情は、誰しもが経験することでしょう。

 

ありのままの自分を認められない、好きになれない、それはどんなに悲しい事でしょうか。

 

「無知のベール」に庇護されて、自らの属性を誤魔化せる時期は人生においてほんの一瞬です。

否応なしに人は社会に飲み込まれ、揉まれて、引き回されて、その身を姿見の前に晒されるのです。

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 後年、大学の教養課程で履修した心理学系の講義に出席した際、それに対する自分なりの答えを得ることができました。

 

その講義では「心の発達段階」についてが一貫したテーマだったのですが、思春期について学習する回において、まさにそれは自己と他者との境界線の中で揺れ動き、アイデンティティを形成していく段階である、といった解説がなされていました。

 

ですから、学術的な点で言えば、15歳の私は極めて健全な発達の途上にいたのです。

 

また、自分のことを不必要に醜いと決めつけること、これは「スポットライト効果」という認知バイアスの一種に囚われていたのだと判明しました。

 

不運にも、この世界を観測できるのは自分だけですが、人間の目と脳はそれほど正確には物事を認識できていないようです。

 

しかし、自分に対してそうしたフィードバックを与えられるようになるには、時間の経過が不可欠だったように思えます。

 

このようにタイプする指を走らせながら回想してみるにつけ、やはり、あの時の生の感情に比べて、想起されたそれは鮮度を失っていることに気がつきます。

 

だからこそ、こうして客観的に捉えられるのであって、今この瞬間、ギャップに直面して苦しんでいる10代の方々にそれを求めるのは酷でありましょう。

 

ですから、かつて子供だったことを忘れているような大人達が

「そういう時はこうしなさい」あるいは「そんな事は大したことない」

といったぞんざいな口調の励ましで、かえって彼らを追い詰めないように願うばかりであります。

 

かく言う私もその一人で、日に日に、そのような心の機微に鈍感になっていくのを自覚しています。

 

説教じみた言葉を用いて講釈を垂れるのは、私が最も嫌悪し忌避する行為ですから、常に謙虚な姿勢を心掛けるように自戒していく必要がありましょう。

 

もっとも、金なし、職なし、スキルなしの根無し草の戯言を、金言であると耳を傾けるような変人はそうそういないとは思いますが。

 

ただ、そんな者でも一つ言えるとすれば、生きていれば不運ばかりではないということです。

 

私の好きな言葉に「冬来りなば春遠からじ」というものがあります。

 

その格言が示す通り、辛い事の後には、必ず幸運が目前に控えているのです。

 

悠久のように感じられた心が凍てつくような寒さも、いつかは終わりを迎え、温かく穏やかな、明るい春が訪れるのです。

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ですから、私の心の中で暴れ回っていた過剰な自意識

その後は徐々に落ち着いていくことになります。

 

それを飼い慣らせるようになっていったのはいつ頃だったか、恐らく中学校生活の終盤、中学3年生の冬頃だったかと思います。

 

きっかけは、フジテレビ……ではなくて、クラスメイトからとある部活動の勧誘を受けたことでした。

 

 

私が通っていた学校は私立の中高一貫校で、中学生は卒業すると皆ほぼ100%、付属の高校に進学していました。

 

その際、中等部から上がってくる生徒達と同数、新しく受験を経て高校から入学してくる生徒達がいました。

 

まだ見ぬ新しい仲間達のあれやこれやを想像して、各々が期待に胸を躍らせていたからか、この時期の教室は妙に騒がしく、フワフワとして落ち着かない雰囲気だったのを覚えています。

 

余談ですが、彼らの一斑でも、全く把握していなかった者は私くらいのものでございました。

 

実は皆、このとき世に出て数年で、瞬く間に人々の生活に浸透していったSNSというネットサービス(当時、主流な『mixi』や『Twitter』といったもの)を通じて、メールアドレスの交換やメッセンジャーアプリ「LINE」のアカウント追加などでメッセージのやりとりを行っていました。

 

それらのアイコン——例えばキラキラと輝く加工が施されたプリクラ画像の中に映る美少女や、ペットやアニメキャラクターといった人ならざるもの等々、そういった僅かな情報とチャットの感触から想像を膨らませて一喜一憂し、仲間内で共有していたそうなのです。

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中には入学前から男女交際に発展し、入学後数日で破局するという、もはや学校の七不思議の一角に名を連ねても違和感のない奇怪な噂話も取り沙汰されていました。

 

しかし、そのような色々を私が人づてに聞いたのはだいぶ後になってからでございます。

 

この頃はまだガラケースマートフォンが併存していた時期で、私は黒い大きな二つ折りのガラケーを所持しておりました。

 

横文字のオシャレなOSなんて搭載されていなかったものですから、そういったSNSには縁がなく、精々キャリアメールを用いてのメッセージ交換が関の山でした。

 

とはいえ、そのアドレス帳も「帳」なんて言葉を使うのもおこがましいくらいスカスカで、もはや形骸化し、全く稼働のない元部活の顧問や同期達が数名登録されている程度で、唯一のメル友は親くらいのものでした。

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——閑話休題

 

このように「高校生」という人生の新しいステージを目前に、心機一転し何かに取り組もう、そんな機運が高まっていたのです。

 

つらくて厳しい練習があるガチ系運動部から、ゆるい同好会然とした運動部への転身や、あるいは仲良し同士でバンドやダンスグループを組むなど、その形は様々です。

 

そうした中、これまで比較的部員数の少なかった部活動において新メンバーを呼び込もうという動きがありました。

 

彼らはよほど発破を掛けられていたのか、誰彼構わず勧誘していたものですから、教室の隅っこで寝たふりばかりしていた私にもついにお声が掛かりました。

 

その一つ、聞けば水泳部ということでした。

 

上述の通り、過去にスイミングスクール生であったことから泳力には問題はなく、これなら私にも務まるだろうと思う反面、不安な点もありました。

 

どこまでも部活動でありますから、あの時のように、ただ水中の浮遊感を楽しむだけではいられないだろうと。

 

しかし、これは自分を変える、そんな機会であると思い改めて、束の間の逡巡の後、私は入部を決心しました。

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高校への進学時に再び部活動に挑戦するという選択は、私の人生の中では珍しい好手でした。

 

何故なら、結果的にコミュニケーション能力の面において大幅な向上を果たしたからです。

 

集団内での立ち振る舞いの方法や横と縦の繋がりの大切さを学び、現在における人との接し方も、ほとんどこの高校3年間で培ったものが原点となっています。

 

結局のところ、人はそれほど人を見ていないし

わざわざ拒むほどの理由も持ち合わせていないのだと気がつきました。

 

自らを卑しめることなく、気負わず歩み寄れば、悪い顔をする人はいないのだと。

 

かくして、あれだけ自身を苦しめていた対人恐怖と緊張も、徐々に和らいでいき

この限りにおいて、私はようやく人と並ぶことができたのです。

 

「誰からも認められない、必要とされない存在である」といった自己像は、春一番の訪れと同時に霧散していきました。

 

キョロ充の爆誕

だがしかし、そこからまた、私の悪癖が出てきます。

 

「やっと普通程度にはなれた」、その事で満足して、そこから先の努力は一切積み重ねなかったのです。

 

常に「人より劣っている」という意識が潜在していて、「人並み」ということへの執着がありました。

 

勝ち知らずの人生なのだから、せめて負けたくはないという思いが強く出て、そのためには「人と同じように振る舞うこと」が最適解であると、固く信じ切ってしまっていたのです。

 

他人の振る舞いを模倣していく内に、それが骨の髄まで染み渡り、真物となりさえすれば、それでも良かったのかもしれません。

 

けれど、所詮は猿真似で、逆立ちしたって本物の「道徳的優等生」にはなれないのだと、最初から諦めていました。

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ですから、この時の私はいつも、体面を取り繕うことばかり考えていました。

 

キョロキョロと周りを見渡し、その場の空気に合わせて騒いだり、押し黙ったりする「ラジコン人間」

 

これが、まさに「キョロ充」の爆誕です。

 

今更ながら当時の真情を吐露すれば、部活動、そして実は水泳そのものにも毛ほどの興味も熱意も抱いてはいませんでした。

 

周りのメンバーは自己ベスト更新や都大会出場といった、何か目標を立てて練習に励んでいました。

そんな中、熱い欲動を持たざる私は付かず離れず、「下の上」位のレベルで、それ以上自らを追い込む事はせず、ヘラヘラと笑って留まっておりました。

 

そういった怠惰な部分を見抜かれてか、顧問から練習態度についての注意や退部の勧告を受けることもしばしばありましたから、それがどれほどのものだったか推し量れるというもの。

 

それでも高校3年間、私は部活動を継続し、やり切ったのです。

 

それは何故か。

とどのつまり、溺れる者は藁にも縋るといったところ、それほどに中学3年間が暗黒であったからでした。

 

本当は「人一倍傷つく心があるのに、人知れず亜空間に漂って、見えていないふり、聞こえていないふりをして、ただ一人淋しさの深淵に沈んでいくこと」よりかは「特にやりたくもないことを周りに合わせて我慢してやること」の方が、何倍もマシに思えたのです。

 

崖下をよじ登って、ようやく掴んだ蔓を手放したくなかっただけのこと。

 

その証左に、あれだけ尽きせぬ自由時間のあった帰宅部時代、やっていたことといえばカウチポテト族よろしくジャンクフードを無感情に口に運び、ゆるみきった顔付きでテレビゲームやアニメ・ポルノ鑑賞に耽溺し、そのまま惰眠をむさぼるという無為と無気力の極地でありました。

 

特に何か、「生まれたままの情熱」は持っていなかった

仮に、世の中の人間が、「やりたい事のある人」「やりたい事のない人」の二種に分類されるとすれば、間違いなく私は圧倒的な後者の人間でございました。

 

「水は低きに流れ、人は易きに流れる」とはよく言ったもので、私も常に「自分が気持ちの良い状態でいるためにはどうするべきか」を念頭に置いて行動する質でありました。

 

これに問題があるとすれば、意志薄弱で刹那的な性格の場合、あらゆる分岐点で楽な方を選びがちの人生を送ることです。

 

 

それは人生の幸福の総和を縮小再生産的に減らしていく消耗的行動。

若さと可能性を失っていくにつれ、余程の運がなければどんどんと泥沼の深みにはまっていきます。

 

かたや、前者は明確な何か「こうしたい」というものが自分の中にあって、その実現に向かって颯爽と邁進していくことが出来る存在です。

 

彼らはこの活動を反復して実行していく中で、徹底した自己管理と行動の改善を積み上げていきます。

 

これは、幸せの数を拡大再生産的に増やしていく生産的行動。

人生常に右肩上がり、物心両面で満たされ、天国へのパスポートを手にします

 

これが現実、これが「優等生と劣等生」、「強者と弱者」の違いなのです。

 

なんの制約もない温室に入れられた時の行動が、その者の本質を表すとするならば。

 

時間とお金が許す限り、ひたすらダラダラと過ごす怠け者。

快楽的消費で得られる脳内麻薬の虜。

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これが、私の偽らざる正体。

 

その点で、「道徳的優等生」たる彼らが持ち合わせていた「生まれたままの情熱」といったものは、どうやら私には備わっていなかったようなのです。

 

思考停止の進路選択

そんな無気力な真面目系クズの道徳的劣等生と優等生との差は正直なところ、型にはめこむことを目的とした教育を行う高校までは、それほど顕現化しないものです。

 

その差が浮き彫りになってくるのは、そこから先。

 

今日、高校進学率は98%超と、ほとんどの日本人はこれを通過いたします。

 

対して、大学進学率は55%に留まり、これは高校卒業を境に各人が己の将来を見据え、別々に我が道を歩んでいくことを意味しています。

 

ですのでその時分、同年代の子らは、

「職能を磨くために専門学校に行きたい!」

だとか、

「生理学の研究をしたいから〇〇大学を目指す!」

とかいった、

「自分にしっかりと向き合い、後悔のない人生の送り方を模索した末の結論」を次々に発表していました。

 

私といえば、徹底的な怠慢、救いようのない表六玉でありました。

 

そういった考えは露ほども浮かばず、

「やりたい事がないなら、とりあえず大学は出とけ」

との両親の耳当たりの良い言葉に全力で乗っかり、思考を停止させたそのままに大学進学を選びました。

 

「選んだ」、というよりは「流されて」というべきでございましょうか。

 

ほんの少し、進歩した部分があるとすれば、それは大衆が当たり前に身に付けている儀礼的無関心が多少板についてきた程度。

 

すなわち、「居ても不自然ではないし、居なくてもまた、不自然ではない」、そういった当たり障りのない存在にはなれたというところ。

 

それにしたって、実際には自分で掴み取ったものではなく、与えられた選択肢の中で獲得したものに過ぎません。

 

つづまるところ、「三つ子の魂百まで」、あの手足も生えていないオタマジャクシの頃から、中高6年間を経ても、私の本質は何も変わってはいなかったのです。

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オレンジ色の夏休み

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ただ、幸運なことに、大学で過ごした日々は決して無駄にはなりませんでした。

 

むしろ、今も、そして間違いなくこれからも、色褪せることのない財産であります。

 

ここで、私は人生で初めて「自主的に何かに取り組む」という経験をします。

 

このよすがというか、自負が、今の自分を辛うじて支えているものです。 

 

 

諸先輩方が口々に喩える、曰く、大学時代とは人生の夏休みであると。

 

そんなお言葉の通り、大学では自治の精神が行き届いていて、ありとあらゆることが自由でございました。

 

酒とタバコを覚えたのもこの頃のことです。

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中高と比較的厳格な校則に縛られていた私は、それに軽いカルチャーショックを受けます。

 

私見ですが、大学というのは、様々なバックグラウンドを持った人々が一堂に会し、学問の下に平等に扱われる特異な場でありましょう。

 

水商売に手を出して姿を消す者、現役のアイドルや女優、金持ちの子女、外国人留学生、社会人経験者、在学中に特許を取得した不労所得者、留年を繰り返す総髭長髪の仙人、等々……

 

他人の視線に縛られない生き方や一風変わった着眼点を持った人たちが入り混じっていて、ラジコン人間たる私には新鮮なことばかりでございました。

 

学部選びに関しては、地歴公民が得意(これは滅多にない私の『好きな事』の一つでした)という極めて単純浅薄な理由で、人文科学系を選びました。

 

これも大当たりでした。

 

専門課程はもとより教養課程に至るまで、種々様々な単元を履修しましが、そこでご教示いただいた教授陣はユニークで学殖豊かな方々ばかりでありました。

 

時に、小中高で受けた授業のその中で、合間に小休止を挟んで蘊蓄を傾け、やたらと惹きこまれる魅力的な小噺を披露してくれる先生と、一人や二人、皆様も出会わなかったでしょうか。

 

大学教員というものは当然のことながら、どなたもその道の専門家であらせられます。

 

ですから、その上位互換というか「世の中にはこういった思想と思惟に基づいて生活する人々がいるのである」、そういう驚愕の事実の数々を怒涛の勢いで羅列されるのであります。

 

私はそれらの目新しい価値観に触れ、目から鱗がボロボロと落ちてくる毎日を過ごしていました。

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ですから、そこで私は初めて勉強、学問を修めることの意義を理解したのです。

その意義とは、簡潔に言えば「現実に何か問題があって、これを如何に解決するのかを探究する」ということ。

 

今までの人生において湧いてきた疑問、降りかかってきた難題、これの解決手段、それを発想するための思考法を学びたい者のみが最高学府の門を叩けるのであります。

 

ただただ、言われるがまま、流されるがままに何の問題意識も持たぬまま大学に入るということが、如何に時間の無駄か気付かされ、将来への視座が余りにも欠如していたことに対して恥ずかしさを感じました。

 

そんなわけで、この時から徐々に「生きる意味」というか、「自分の人生を有意義に過ごすとはどういうことか」について考えるようになったのでございます。

 

幸いにも、それに関するヒントは早々に得ることができました。

 

私が履修してきた素晴らしい講義の数々の中で、ひとつ、「宗教思想史」というものがございました。

 

これの主旨は、「人々が宗教とどのように対峙し、解釈してきたかについて」、いわゆる思想の歴史を学ぶ、ということです。

 

古今東西のあらゆる宗教を列挙し、その教義を比較検討します。

 

その後、何故このような内容となったのか、どういった差異があるのかを、地理的・歴史的背景を主眼としてディベート形式で紐解いていきました。

そして期末の最終回、最後のコマに、教授が宗教についての個人的見解を開陳する場面がありました。

 

師曰く、

学問というものは大抵、現実に存在する問題を、現実の内に解決しようとする。

例えば、貧困に窮する者あれば、経済政策の見直しや社会制度の変革で、あるいは食料生産や工業生産の技術向上によってこれを解決しようとする。

ただ、宗教というものは、それら現存の人間の文明力だけでは解決できないような世にある不条理・理不尽の悲しみを救おうとするものである。

天国と地獄、最後の審判、輪廻転生、解脱、黄泉國、戦死者の館……『教え』の中に登場する概念は数え上げれば切りがない。

そして、そのいずれにも共通するのが、我々が観測不可能なフィクションの中で人々の救済を試行している点である。

如何せん、現代日本人は『目には見えないもの』、『科学的に立証されていないもの』に対して、何かいかがわしく胡散臭いものであると、とかくアレルギー反応を起こしがちであるが、実はこのようなものは世に溢れている。

その最たるものが『人権』であろう。

今日、『人は生まれながらに幸福追求のために種々の権利を有する』ということに同意しない人間は民主主義国家において少数派であると思われるが、これが明文化され、公に『ある』ものとされたのは人類20万年の歴史の内、まだ1000年も経っていない。

私見だが、この概念の発現がなければ、人間社会がこれほどまでに発展することはなかったであろうし、私も、そして諸君らもここに立ってはいないのではなかろうか。

つまり、現代社会は夥しい数の犠牲を出しながらも先人達が発想してきた様々なフィクションが折り重なった上で成り立っている。

宗教の『ドグマ』には、あの世に旅立つまでに現実生活をどう生きるべきかという、道徳や倫理についての説諭も多分に含まれている。

人間がより善く生きるためには何が必要か』という問題意識から出発している点で、宗教と人権思想を代表としたその他のフィクションは何ら変わりがなく、宗教も人間が作り出したフィクションの一類型に過ぎない。

さらに言えば、諸君らが専攻している人文科学とは、平易に言えば『人間人間が生み出してきた文化の関わりに着目し、文化というものが人間の精神の映し鏡であると捉え、そこから人の心、人間本性を探究していくこと』を目的としている分野である。 

その最終目標には、人の心にある問題——すなわち絶望、失意、憎悪、嫉妬、怨嗟、憤怒……そういった生きていく上で発生する苦しさから如何に人々を救助するか、ということがある。

つまり、人文科学も同様に『より善く生きる』ということを主題に据えていて、その意味で宗教とは極めて真っ当な人文科学的問題解決手法の一つなのである。

これが、私が宗教を学問として研究することに面白さを感じている所以である」

 

もちろん、一言一句、これと同じではなく、私が補綴した箇所も多くありますが

大体このような意味合いのお言葉でもって、その講義は締め括られました。

 

私はこれに蒙を啓かれたと言っても過言ではないほどに大変な感銘を受けました。

今もなお頭から離れず、忘れることができません。

 

なるほど、フィクションの中にこそ現実の問題を解決する糸口があるのだと。

リアルがあまりにも辛いことの連続であるから、虚構によって人間は人間を救って来たのだと。

 

そうであるならば、私のあの暗澹たる中学時代、延々行っていた現実逃避のための妄想も、もしかしたら世のため人の為になるのかもしれない。

 

取るに足らない冗長な駄文拙文が、いつか誰かの救いになるのかもしれない。

 

そんな思いに取り憑かれて、私は一念発起し、学生生活の合間を縫って約一年かけ、自らの精神世界を等身大にありったけ表現したファンタジー小説を書き上げます。

 

これが、私の人生において初めて自主的に何かに取り組んだ瞬間です

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それで早速、原稿を脇に抱え各コンテストに応募したのですが……

こんなところで管を巻いていることから察しはつくかと思われますが、結果はなしの礫。

 

所詮、私の空想はただの自己満足に過ぎなかったのです。

 

一言で表せば、資源を徒に浪費するだけのゴミ。

 

——背伸びなんてしない方がいい、人と違う生き方なんて自分には不可能だ。

 

むしろ、人より一段と劣っていることを忘れてはいけない。

必死で周りに合わせないと、どんどん人生置いていかれてしまう。

 

当たり前の事さえ満足にできない「無能力者」なのだから。

 

教授の熱弁に絆されて、珍しく積極的に動いたけれど。

何を勘違いしたのか、「自分にも出来るかもしれない」だなんて

 

自分が気持ちよければ満足で、何の一家言もない者が、歴史に名を残すような偉大な思想家や宗教家と自身を重ね合わせるのは危険だ。

 

著作というのは、創造性とか情熱とかを生まれつき持ってる人の特権なんだ。

そういった人は話し言葉を身につけたそばから、既に物語を紡いでいたりする。

 

遊冶懶惰の極み、自堕落の限りを尽くして放蕩三昧だった自分が行き着ける所ではない。 

 

日本の片隅にさえ、確かな居場所なんてない自分には土台無理な話だった。 

 

負け犬は一生負け犬、輝くことなど一度もない——

 

そんな独白が頭の中を駆け巡りました。

 

けれども、儚く夢破れて悲嘆に暮れる主人公を気取っていられたのも束の間のこと。

 

気がつけば、あれほど余裕のあった大学生活というモラトリアムは、最早一刻の猶予も無くなっていて、就活戦線の波が目の前まで迫っていたのです。

 

自分をどこまで殺せるか

よく、就活界隈では「第一志望群」「滑り止め」あるいは「持ち駒」といった、いわゆる業界用語が頻出します。

 

そんな言葉を耳にする度、就活というものはどこまで自分の中の自己に殺せる部分があるかと問うて、妥協点を探っていくという筋道が見え透いている茶番劇なのであると再認識したものです。

 

あけすけに言ってしまえば、いわゆる「お勤め」という名の刑務をどこでなそうか、といったところ。

 

同じ懲役40年ならば、少しでもマシな所、いわゆるホワイトや大手、大企業なんかがやはり良いに決まっていると思い込んで、そこ目掛けて押し合いへし合いおしくらまんじゅうの椅子取りゲームの様相を呈しておりました。

 

私といえば、夢破れながらもまだ淡い気持ちが残っていて、第一志望群にはマスコミ・出版業界を据えて活動していました。

 

大学において専攻してきた分野を活かせる業界はこの二つをおいて他にないと思っておりましたし、作品を一応は形にしたというエピソードも評価してもらえるのではないかという目論見もあったからでした。

 

ですが、そんな夢ルートはまさに茨の道で、ことごとくお祈りの言葉を浴びせかけられ、全滅の憂き目に遭ってしまいます。

 

面接まで辿り着いた会社もあった分、やはりその筋の人からすれば、自分の思いは紛い物だと、浅漬けの胡瓜よりも薄味な物と見定められたのだと捉え、より一層自己肯定感を低くしただけの結果となりました。

 

そこでまた、例の「無能力の自覚」が発動します。 

 

——結局、自分の本質はあの中学の帰宅部時代にあった。

本物の熱い思いなんて持っていない。

 

ただひたすら、いたずらに消費行動を反復するだけのカウチポテト族。

 

だからこそ、あの時、特にやりたくもないことを周りに合わせて我慢してやることの方が何倍もマシだと思った。

 

「人と同じように振る舞うこと」が最適解であると、そう自覚したんだった——

 

ですからその後、夢ルートは封印することを決意し、いよいよありのままの現状と向き合うこととなりました。

 

つまり、自分をどこまで殺せるか、ということにおいての妥協点を探っていく作業を開始したのです。

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勝ち組と負け組、優等生と劣等生

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強者と弱者・陽キャ陰キャ・賢者と愚者・王様と奴隷・男と女……ややもすると、人は単純な二元論に陥りがちです。

 

そういう下劣な、目には見えないステレオタイプ的レッテルを、大変に不躾であると理解しながらも、周囲の人間に貼っていくという作業はキョロ充精神の塊であった私にとっては日常的でした。

 

しかし、そういった行為に加担してこなかった人々——幸運にも、誰に対しても誰からも、そのような言葉と心の声を掛けず掛けられなかった人々が世には存在します。


そんな、ひねくれず真っ直ぐに育った聖人君子たちさえ、顔を歪ませ背中を丸めるようになるのが就職活動という儀式でございました。

 

私どもの世代はコロナ禍前ということもあり、インターンシップOB訪問という制度が充実している会社もそれなりにあったので多少はマシだったかもしれません。

 

しかし、やはりこの身は一つで、経験できる数には限りがあります。

 

そして、所詮は学生ということで、本音を見せて貰えないということも珍しくはありませんでしたから、新卒一括採用というものは労使間の情報の非対称性が大きいと言わざるを得ません。


ですから、学生側は学生なりの尺度で単純な分類をするしかありませんでした。

 

ちょうど学校の偏差値の如く、ひたすら社格が良い方に内定を貰えた者が優れた人間である、平均年収が数万円でも高い方が勝ち、みたいな不毛なマウント合戦がリアルでもSNSでも煽られ、繰り広げられておりました。

 

リアルにおいては、特に家族からのプレッシャーや期待の重さというものは就活生にとって大きな精神的負担でありましょう。

「せっかく大学に入ったんだから……

「良い所に入らないとね……

そんな思慮に欠ける言葉、口ほどに物を言う態度や雰囲気にあてられて。


その上、自分の中にも「俺はこの程度ではない!」みたいな自尊心があるものだから、図星を突かれた気がして大した反駁もできず、

吟味せずにそのまま「自ら外堀を埋めてしまう毒」を丸呑みしてしまうのです。

 

今日、この国では毎年一定の数、「就職活動の失敗」を理由に自ら命を絶つ人々がいます。

 

人の死についてあれこれ詮索することは下衆の極みと弁えつつも、「なぜ就活の失敗なんかで?」といった世間の疑問の声に、僭越ながら答えるとすれば、これがまさに「自意識の自縄自縛」による自滅ではなかろうかと思うのです。

 

10代の終わり、20歳も過ぎれば「自分が何者であるか」という自己像はほぼ完成に近づいていて、それに対する愛着や自負というものも湧いてきます。

 

これに急激な変容を余儀なくされるのが、就職活動というものです。

 

自分という存在に愛着を持っている自分がいる反面、「勝ち組と負け組」というような二元論的に単純化された学生間あるいは家族間で強要される価値基準と、学生と企業という圧倒的非対称な二者間において一方通行の「お祈り」という拒絶を受けるのです。

 

そういう手荒い洗礼の数々によって意識朦朧とする中、多数決の原理であたかも「あなたは世の中には必要ありません」と決議されたかの如く錯覚します。

 

地の底へ落ちていくような自我の崩壊を引き起こして、「この世には必要のない自分」といった誤った自己像が上書きされてしまいます。

 

そんな状態でさらに、

「新卒カードは一回きり」

「一度失敗したら終わり」

「一夜にして明暗が分かれるんだ」

という風に、自ら退路を塞いで背水の陣を敷いて臨んでしまうものです。

 

その上で敗れ去った暁には、死が救いになるほどの自己否定にはまってしまうことでしょう。

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そして、その気持ちは私にも痛いほどよく分かります。

 

これが、ひねくれず真っ直ぐに育った真面目な人たちさえ、顔を歪ませ背中を丸めるようになること、就活が戦場になぞらえられることの所以。

 

自然界に暮らす動物たちよりは、大分マイルドではありますが、人の世界も人なりに厳しいことには変わりありません。

 

ただ私は、死が救いであることを認めつつも、一方で「楽しさ」もまた救いではなかろうかと思うのです。

私の人生観というものは至極単純で、「楽しさ」が望める限りは生きようというもの。

 

とどのつまり、「これからずっと苦しいことしか続きません」と確定診断が降りようものなら、さっさと安楽死を認めてもらいたいという所存。

 

ですが、「楽しい」イベントがまだあると予感している間に、それを享受することなく人生を終えることは、差し詰め、花火大会のフィナーレを見届けずに、後ろ髪を引かれる思いで見物会場を後にするようなもの。

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そういった未練が少しでも残っていたならば、生き続けた方が悔いは無いかもしれません。

 

享楽——QOLを、どこに見出すかは人それぞれあっていい。

例えば、子を成して家庭を持つことであったり、アイドルの追っかけだったり、命懸けの危険なスポーツであったり……何だっていいし、いくつあっても良いわけであります。

 

そして、それを持続させるために自らを大切にして、健康寿命の延伸を図ること。

 

生きる意味はないけれど、現状、死ぬのは怖いし、まだ楽しいことがありそうだから生きてみよう。

どうせ生き続けるなら、楽しさを太く長くするように努力していこう。

 

これが、「生きる意味」というか、「自分の人生を有意義に過ごすとはどういうことか」という問いに対しての現時点での答えであります。

 

翻って今。

混迷極める未曾有の感染爆発によって、私共の時代とは比べ物にならない程に就活生たちは大きな不安に苛まれ、自らを追い詰めてしまっていることでしょう。

 

三重苦背負った根無し草が、その身を捻りに捻って精一杯ひり出し、箴言を与え得るとすれば、「自らの心が自らを解放する」以外にその解決策はありません。

 

自らを犠牲にする価値のあるものなど、この世には存在しないのだと。

「生きるための緊急回避は常にアリ」という楽観主義を持つことです。

 

そのような精神を陶冶するには大きく分けて二つの方法があります。 

 

一つは矜持に基づく個人主義、雄弁なる独立宣言、光栄ある孤立主義を貫くこと。

 

すなわち、自らを追い詰めてくる存在と断固とした態度で絶交することであります。 

SNS断ちや毒親・マウンティングしてくる学友たちと距離を取ることがこれに当たります。

 

極端な話、完全なる「ぼっち」に身を置くこともいいかもしれません。


これは、自己が未成熟なローティーンの時期では危うさを伴います。

しかし、自らに愛着を抱けるようになっているこの歳頃では、情報比較がない分むしろ、自らの価値基準がブレないという精神衛生上とても良い効果をもたらします。 

 

そして二つ目は、月並みですが自らに共感し、肯定してくれる親友や恋人を身近に置くことです。

ただ、これは私のようなコミュニケーション弱者には少々ハードルが高いので、次善の策として検討していただいと思います。

 

人生、抜け道なんていくらだってあるし、川や海に飛び込んでみたら案外と穏やかな流れで、ひょいと陸に上がれるかもしれないのです。

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そういった点では、私の場合、その苦しい通過儀礼は中学の時点で終えておりました。

加えて、大学在学中に取り組んだ創作活動の末路と、就活における第一志望群の玉砕によって「無能力者としての開き直り」がいよいよ磐石のものとなっていました。

 

ですから、端から総合職には目もくれず、「どうせ妥協なのだから」という気分で「都内勤務・転居を伴う異動無し」という絶対防衛ラインを定め、安定志向で「金融」・「インフラ」・「政府・地方自治体系独立機関」といった業界の、いわゆる地域総合職に絞って就活を進めます。

 

結果、金融系2社とインフラ系1社に内定を頂き、福利厚生・勤務体系・待遇等を比較検討し、消去法にて金融系1社に入社することを決めました。

 

灰色の社会人生活 

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正直なところ、社会人一年目から現在に至るまでの日々は、語るのに値しないと言うべきか、私生活を除けば毎日が灰色でございます。

 

私が入社した会社では、地域総合職という大きな括りの中に、三つに区分された職種が設けられておりました。

初めは、選択したその職種において徐々にスキルと経験を積んでいき、管理職等のバックオフィスへの道を歩んでいくことになるのです。

 

私はそこで、個人顧客に対してお宅への飛び込みや電話を用いたインサイドセールス等で保険や投資信託といった金融商品をご提案していく、いわゆるリテール業務(個人営業)に携わることとなりました。

 

定量的な結果を求められ、具体的な数値が評価される環境に身を置くことで、コミュニケーション能力や営業スキル、課題解決能力が磨かれると思ったからです。

 

とはいえ、キャリアステップは中小ベンチャーと比べてスローペースでありましたから「圧倒的成長!」といった高い意識を持っていた訳ではありません。

 

ただ、なんとなく「大卒文系なら営業職!」みたいな風潮がありましたし、「古きゆかしき昭和のサラリーマン」みたいなものに対する憧れというものがございました。

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私の人生の中においては常に、いわゆる「マチズモ」、「男らしい男」へのコンプレックスが根底に流れているのです。

 

ですから最初は、「せっかく入社出来たのだから」といった気持ちで、各研修も熱心に取り組んでいたのを覚えております。

 

具体的な営業手法を学ぶ研修は特に真剣で、なんたって「言葉巧みに人の心を掴んでいく硬派な色男」そんな人物に自分もなるぞ、なんて甘い算段を立てていたから。

 

研修所と配属先を交互に行き来しながら、座学と実践を交え、みっちりと実に6ヶ月間、新入社員研修が行われました。

 

そして、いよいよ実戦投入といった折に、事件は起こります。

 

私が所属していた会社の営業部門における大規模な不適正営業の実態の数々が、各社マスコミ報道によって明るみに出たのです。

 

早い話、認知機能も判断力も衰えた高齢者相手に高額の保険契約を幾つも結ばせたり、リスクを正しく判断できない状態であるのにもかかわらず、元本割れの可能性がある投資性金融商品を売りつけたりといった行為が横行していました。

 

さらには、解約したい旨を申し出たお客様に対して「いま解約すると損する期間ですから、もう少し寝かせてからの方がいいです」といった詐欺師の顔も真っ青になる真っ赤な嘘で誤魔化すような悪質なケースも散見されていたというのです。

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それは明らかに消費者側にとって不利益で、社内コンプライアンス違反どころか、業法に抵触していました。

 

こんな事が、なぜ起こってしまったのか。

 

下流の現場においては、手当と実績ほしさ、つまるところ金銭欲と出世欲から。

あるいは管理者側からのパワハラとプレッシャーによって、泣く泣く不本意ながら自己保身と家庭を守るために手を染めてしまったということが原因でした。

 

そして、上流の経営陣に目を向ければ、明らかに時代に即していない商品性を改めず、絵に描いた餅の無理難題な営業目標を、上から下へ、ひたすら押し付けていたこと。

あまつさえ、数字さえ取れていれば、たとえ営業品質や素行が悪くても、客からお金を引っ張って来たヤツが偉い、といった社内風土を黙認していたこと。

 

コンプラ?何だそれ?いいから黙って数字取ってこい!」

 

無遠慮に言えば、おためごかしの理念と有名無実な大義名分の下に、間違った情報に基づいて、誤った戦略を立て、浅はかな戦術を実行していたのでございます。

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古き悪しき昭和の遺物、平成の俗物。

 

ですから、本格的に現場に配属された際には、営業どころか凸電の嵐。

就業時間やることといえば、ご契約者様のお宅へ訪問し、ひたすら平謝りのお詫び行脚。

 

研修で使用した綺麗事を並び立てられた資料は、一切合切、「黒塗り・裁断・溶解の刑」に処されました。

 

入社当初、怯えた顔つきで職場に足を踏み入れた私たちに、とても柔和で優しい雰囲気で出迎えて下さった職場の上司、先輩方。

 

それが、騒動の後には、大変に失礼であると理解しながらも

 

この人たちも実はやっていたのでは……。

 

といった不信感を抱いてしまって、これは後々まで続きました。

 

 

あの時、早々に転職を決意し、活動していたなら、また違った未来が見れたのかもしれません。

 

しかし、一年未満での離職に対する懸念や、社宅に入寮していたこともあり、費用面で容易に身動きが取れないこと、その他諸々の「動かない理由づけ」をして、結局、行動に移すことはできませんでした。

 

それに、世論と金融庁からの行政処分を受けて、大幅な営業目標と組織体制の刷新を模索していくというトップの声明が出されたことを受け、まだ望みはあると、残留することを決心しました。

 

そして、あっという間に一年目が過ぎ去り。

 

その後間もなく、あの忌まわしきコロナ禍が到来しました。

 

「無職一文なし」の誕生

自粛に自粛を重ね、新しく打ち出された営業方針に沿った研修がようやく始まったのは、2020年の梅雨明け、オリンピックイヤーの夏に差し掛かった頃のことです。

これでようやく、周りの人たちに胸を張って仕事が出来る、そのための一歩が踏み出せるのだと、爛漫たる気持ちで臨んだのを覚えております。

 

ですが、そんな期待は、いとも容易く裏切られました。

 

そもそも、このような事態を招いた原因を、殺伐とした社内風土だとか、販売戦略の杜撰さだとか、そういう一企業の固有の因子にあったと断じるのは、実は表層的な部分しか捉えられていません。

 

もっと俯瞰的に穿って見れば、根はもっと深く、金融業界全体の構造的問題に起因する、「起こるべくして起こった問題」だったのです。

 

簡単に言えば、金利の長期化などを主因とする収益の悪化に伴い、投資性金融商品の販売を促進せざるを得なかったことにあります。

 

街衢で叫ばれる「貯蓄から投資へ」という言葉は、まさにその売り込みのための煽り文句です。

 

従来の「融資による利息で収益を上げること」が困難となり、利益率の高い外貨預金や投資信託といった「元本割れの可能性がある金融商品のご提案」を重点的に行う方向に舵を切ったわけであります。

 

また保険に関しても、運用益の減少によって「払って来たお金の方が、戻ってくるお金より高いこと」は、もはや当然のこととなり、「保障性」をセールスポイントとした商品開発が進められてきました。

 

世に存在する、あらゆる商売は法によって管理監督されています。

 

例えば、食品メーカーであれば、製造された食べ物によって健康上の問題が起きぬよう徹底した品質管理を、住宅メーカーであれば、定められた建築基準を厳守することが求められます。

 

また、当然のことながら、消費者に誤認させることを意図して狙った誇大な広告表現も、薬機法・景表法等によって規制されています。

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その中で、お金という、一生においてとても大切なものを扱う、その上「甚大な金銭的損害を被る恐れがある」金融商品というものは、元来とても慎重に販売することが求められます。

 

個々人のライフプランやニーズといったものを慎重に引き出し、それに適した細やかなご提案をすること。

 

商品のリスクを包み隠さず説明し、ご理解が及んでいない箇所は何回でも説明を加えること。

 

こういった姿勢が、金融商品の取引業者には求められるのです。

 

時には、自社で扱っている商品では不適だと判断したならば、無理な勧奨はしない、そんな対応も必要かもしれません。

 

しかし、規模も大きく全国津々浦々に実店舗を持つ、旧態依然とした会社において、そのような時代への適応が遅れることは必定でございました。

 

抱え込み過ぎた営業社員へ俸禄を与えるためには、今まで通りの人海戦術——飛び込みと呼び込みでガンガン対面で勧誘していく、といった手法で走らせ続けるしか持てる策がなかったのです。

 

経済の潮流と社内における経営計画、この二つの乖離が、問題の根本的な原因でした。

 

つまり、そもそもリテール業務なんてものは、一部のプロフェッショナルを除いて、AIのチャットボットに置換されるという省人化の波、いわゆる「フィンテック」が席巻する過渡期に突入していたのです。


そして、コロナ禍がそれをさらに加速させ、まずはWeb上での販促活動によってリーチしていく事が求められる時代に急速に変換されたのでございます。

 

ですから、これ幸いと用済みの金食い虫となった営業部の内、問題のある社員を対象とした容赦のない大規模粛清、民族大異動が推し進められました。

 

そんな中、実績も粗も、そもそもろくな経験も何もない若手社員は、上層部にとって悩みの種で、その扱いには苦慮していたようです。

 

連日連夜、社会的距離を取った上で喧々囂々の会議が重ねられました。(想像)

 

その度に研修計画の要綱は変更され、担当や手法、内容が二転三転しました。

 

ガバナンスや何処や。

 

そして結局、私たち若手社員は営業部を離れ、

本来ならば、職種違いで就任する予定にもないテラー業務(いわゆる窓口事務)に従事するという運びとなりました。

 

もちろん、あくまで地域総合職という括りでありましたから、可能性は0ではありません。

しかし、前例のないことでございました。

 

研修と称した異動、移動の数々。

 

そこで受けた上長からの嫌味の数々に、すっかり気を病んでしまった者もいました。

 

この時ほど、自分の無知、世間知らずを恥じたことはありません。

 

まともに業界研究もせず。

ニュースに目を通して経済の動向を把握することもせず。

社内の実態をOB訪問できこうともせず。

ただただ、他人からの受け売り、自分の思い込みで

誤った選択をしてしまった。

何が「妥協の上での安定」か。

結局、自分は「無難な選択」すら満足に成し得なかった。

 

上司にいびられながら、窓口事務に臨む日々には嫌気が差していきました。

 

さりとて、営業職に舞い戻れるように技能を磨くといった熱意も覚悟も持ち合わせてはいなかったのです。

 

そういった己の偽らざる心情に気づき、市況に対して大きな不安を抱きつつも、水面下で転職活動を本格的に開始しました。

 

そして最後の異動の後、慣れない人間関係や劣悪な職場環境によって間もなく体調を崩し、休職を余儀なくされました。

 

その頃にはもう、選考が進んでいる企業がいくつかあって


その安心感と、これまでの精神的疲労から、これ以上出勤する事は出来ないだろうと判断し、

 

「心身の不調」を理由に2021年の春先、「自己都合」にて会社を辞めました。

 

しかしその後、一社に内定を頂くも、コロナ禍による待遇面の変化や案件紹介の難航等々、諸条件の折り合いがつかず、あえなく辞退することとなりました。

 

つまり、完全なる無職一文なし、穀潰しの風太郎が出来上がったのです。

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半生を省みて

冬、転職に向けた情報収集の最中、私の脳裏で絶えず繰り返されていた言葉があります。

 

今までの人生において湧いてきた疑問、降りかかって来た難題、これを如何に解決するのかを探究する。

 

大学において初めて理解した、勉強することの意義。

そして、それは何も、学問だけに留まるものではないだろう、と。

 

では今の自分にとって、疑問とは何か。

 

やはりそれは、会社において何故このような不祥事が起こってしまったのか、ということ。

 

先に、さんざっぱらもっともらしい理屈と原因を並び立てながらも、気分は爽やがず。

 

もっと奥底、人文科学の言葉を借りるならば、「人の心」、人間の精神面にまで潜っていく必要があると考えました。

 

そこで浮かび上がって来たのは、

「自分が気持ちの良い状態でいるためにはどうするべきか」

 改め

「自分さえ良ければそれでいい」

そういった心持ちが全ての始まりではなかろうか。

 

そんな言葉。

 

私が今まで自覚していながらも、矯正することを怠ってきた道徳的劣等な性根と、

会社の不祥事が不思議と繋がったのです。

 

個人ならまだ、影響力なんて高が知れています。

「独りよがりなイタいやつ」と評されて、一人寂しく死んでいくだけのこと。

 

けれど、これが集団となり「自分たちさえ良ければそれでいい」といった心構えが、組織全体に浸透していたら、どうなるか。

 

「自分たちだけの合理性を追求すること」、それはやがて取り返しのつかない公害を引き起こすことになるでしょう。

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これは、今も、今までも起こっています。

そして恐らくこれからも起こり続けてしまうことです。

 

そこで初めて、大学時代に精魂込めて創り上げた小説が、

なぜ無様な結果に終わったのかが分かりました。

 

それは、「小説はどこまでも読者のためのもの」という視点が、全くもって欠けていたからです。

 

どういった人に読んで欲しいのか、どのような価値観を伝えたいのか。

そして、その人が読書に求めている物は何か、ということ。

 

そういった、商業における伊呂波の伊が、誠になおざりにされていました。

つまり、私の小説はそもそも、私にしか用意されていない代物だったのです。

 

そんな物を、誰が読みたいと思うでしょうか。

 

「自分さえ良ければそれでいい」そんな、グロテスクなミーイズムを隠そうともしない者が描いた虚構に、一人だって共感する者はいないのです。

 

これはあらゆる人の営みに通ずる概念でございましょう。

 

よく、企業の理念に掲げられているような「お客様視点に立って」といった標語を、本気で胸に刻んでいたのならば、あのような不道な行為は事前に防がれていたし、起こり得なかった。

 

ステークホルダーへの敬意を忘れ、持ちつ持たれつの関係を軽んじた事業は、持続可能性を失い、早晩、瓦解していくのです。

 

それを私は目の当たりにしたのであります。

 

省みて、半生。

 

道徳的劣等を矯めず、無能力からの脱出を蔑ろにして、惰性で生きてきた結果。

ここに至っていよいよ、積りに積もった負債で、首が回らなくなってきました。

 

職を失い、貯金も底をつき、一文無しの経済弱者、爪に火を灯す貧困に陥った今。

自己嫌悪と先行き不透明な将来への絶望に苛まれ、眠れない夜が続く日々。

 

若さという驕りを行使して、目を背けるのはもはや限界。

ここから先へ進んでも、草木は禿げ上がり、ぺんぺん草も生えない荒野が続くのみ。

   

これまで散々、自分と「道徳的優等な人生順風満帆な方々」を自虐的に対比させてきました。

 

しかし実際には、彼らが異口同音に唱える種々の人生訓——例えば「努力は裏切らない」といった、かくの如き食傷気味な美辞麗句の数々を耳にする度、うんざりとして「なんて退屈で偽善的な連中なんだ」と、心の中で悪態を吐いていたのでございます。

 

これまで、露悪的な本音主義こそが世の真理を突いているのだと思っていました。

ですから、悪知恵を働かせた生存戦略、詭弁を用いた人生の攻略法を伝授してくれる人間こそ、嘘偽りを述べない善人であるとみなしていたのであります。

 

反対に、建前の綺麗事、実現困難な理想を語る人間こそ邪で、自分を騙そうとしているペテン師だと拒絶して参りました。

 

「自由」や「平等」あるいは「努力」といった、恐ろしく前向きな言の葉たちが、これまで世の中を良い方向へ導いてきたことは事実です。

 

学校教育をはじめ、様々な場所で私たちはその素晴らしさを学んでいきます。

 

しかし、現実には争いは絶えず、格差は広がり、差別は横行していて、いじめや迫害は日常茶飯事です。

 

——これは、今まで高らかに喧伝されてきた、ご立派で貴い思想信条に、欺瞞と虚偽が存在していたからではないか。

 

高潔なスローガンを枕に、自己陶酔してきた連中の怠慢が原因ではないか。

 

何より、そういう理想に感化されて書き上げた私の作品は、世間に認められなかった。

 

そういう無能で劣った人間にも無条件に幸せになる権利はあるはずだ!

 

——恥ずかしながら、そういう他罰的で拗ねた態度で物事を見ていたのです。

 

己の中に存在する怠惰や刹那主義、抑えきれない嗜虐心やリビドーといったものを否定されるのを、極端に恐れていました。

 

人間が持つ当たり前の性質に目を背け、澄ました顔をしている連中がどうにも鼻持ちならなかったのです。

 

「人生が上手くいかないのは自分自身のせいだ」と上から目線で説教をしてくる人間に対しての猜疑心が、どうしても消えなかったのです。


ですからなおのこと、人の心の中にある悪を堂々と代弁し、弱さを肯定してくれる存在にすがりついていきました。

 

粗暴で力強く、耳触りのよい言葉は、厄介なことに人の心を掴んで離しません。

 

欺瞞だらけの建前の正体を次々と暴き、崩壊させていく様は実に痛快ですから、人はその姿を自らと重ね合わせ、己の不細工さを紛らわす、そんな娯楽に夢中になっていくのです。

 

——努力は無駄。

救われる者と救われない者はあらかじめ決まっている。

 

世界は不平等。

人の上に立つ者と頭を垂れる者の差は埋めようがない——

 

むしろ、自己陶酔していたのは私の方でした。

ヒルな価値観に染まった自分がかっこいいと思っていたのです。

 

けれど所詮は、諦めと嫉妬が混ざり合った負の感情を発散する場が欲しかっただけに過ぎません。

そこにはなんの理論も哲学も存在しませんでした。

 

典型的な「根本的な帰属の誤り」あるいは「行為者ー観察者バイアス」にかかっていました。

 

悪口を放つ時、人は周囲の何かの価値を貶めることで、相対的に自分の価値が高まったと誤解します。

自分が強くなった気がして、今までの惨めたらしい生き様が、少しは報われたと錯覚するのです。

 

しかし、そうした悪言が通用するのは、実際にはごくごく狭いコミュニティの間だけ。

 

小さな部屋の中でこだまして、大きいように感じているだけのこと。

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ですから当然に、聞く耳持たずに不平不満ばかり漏らす、ぶすっと陰気な顔をした人間は疎まれます。

 

そして、そうした人間の言葉が、誰の耳にも響かないのは自明の理です。

 

つまり、悪口とは自分を手っ取り早く肯定してくれる即効性の甘美な麻薬

それと同時に、ゆっくりと着実に人生を狂わせていく遅効性の毒物なのです。

 

 

確かに、人一人の力ではどうしようもないことは世の中に厳然と存在します。

 

自らの意思に関係なく巡って来る吉凶禍福を嘆き、言い訳に使って責任転嫁すれば、その一瞬は楽な気分になれるでしょう。

 

しかし、櫓を手放し、船頭を丸投げして「何とかしてくれ!」と天を仰いで、いくら駄々をこねたって、人生はちっとも上げ潮に乗りません。

 

朝起きて、鏡の前に立てば、無精髭をみっともなく生やした無職の男がただこちらを睨めつけているだけでございました。

 

そこで初めて、己が内に巣食う「真面目系クズの道徳的劣等な性根」と、「無気力な無能力者からの脱却」なくして、ここからの好転は有り得ないことを悟ったのです。

 

「海路の日和は、行動を起こした者にのみ訪れる」

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そんな簡単な道理の理解に、24年もの歳月を費やしてしまいました。

 

世の中に、寝るより楽はなかりけり、浮世の馬鹿は起きて働く

これは江戸時代に詠まれたとされている「狂歌」の一つです。

 

この歌を初めて耳にした際、そのあまりの皮肉めいて風刺的な切り口の鮮やかさ、洒落の利いた言葉選びの鋭さに驚嘆しました。

 

「欲少なくして足るを知る」、最小限の労力で最低限の生活を送ること、究極、働かずに寝るのが一番楽であるのに、世俗に染まり、欲に溺れて必死に足掻いて身を滅ぼす奴らのなんと愚かなことか、と。

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今日のミニマリズムに通ずる概念が、既にこの時代から先駆けて登場していたのです。

 

いや、それよりも前、太古の昔から左様なことを夢想した人は多くいたことでしょう。

心には、時空を超えて分かり合える普遍的な一面が存在するのです。

 

さて、「働かずに寝る」これは当時においては、やんごとなきお家の生まれでしか実行するのは困難だったでしょう。

 

しかし、誠に喜ばしいことに、現代の日本では誰しもがこれを実現させる権利を有しています。


ですから、この時代に生まれたことへの感謝の念を強める反面、それ故に、この歌に対して、特に勤労者の方々を中心に賛否が分かれているのも頷けます。

 

よく、満員電車や交通渋滞に巻き込まれながら毎朝通勤する方々を指して「目が腐っている」または「社畜」という風に形容して嘲弄する場面が散見されます。

 

「世俗に染まり、欲に溺れて必死に足掻いて身を滅ぼす奴ら」に該当する者の大半が、彼ら賃金労働者なのです。

 

では、彼らは本当に「浮世の馬鹿」なのでしょうか?

これは大いに疑わしい、というより、

それを経験した私はその問いに対して「断じて否!」だと回答いたします。

 

彼らのほとんどが「家庭を持ちたい」だとか「広い家に住みたい」、あるいは「高級車に乗って、美味しいご飯を食べに行きたい」とかいった、人として持っていて何ら恥じる必要のない、極々ピュアな欲望に突き動かされているに過ぎません。

 

さらに、「昨日よりも今日、今日よりも明日の世界をより良くしていこう」そんな、真摯な思いと高志を持って日々お勤めなさっている方々もおいでになります。

そのようなお立場からすれば、「欲に溺れた腐った奴ら」といった形容は腹立たしく、全く受け入れられないと感じるのは当然のことであります。

 

この歌には、そういった「社会を支えている普通の人々」を戯笑的に揶揄している一面も確かにあると言えます。

 

けれども、私はもう一段、その奥に隠された真意、当世風に再構成した独自の解釈を付け加えたいのです。

 

無能力者かずまんJPの人生やり直し日記 

 

この世界では、未だあちらこちらに理不尽の種が蒔かれております。

これらに対して、一人一人が声を上げ続けることはとても大切です。

 

それでも、なかなか一朝一夕には解決されません。

もっと大きな時間の流れの中で、少しずつ改善されていくものなのです。

 

我々ができることは精々、ピースミールな善行を謙虚に細々と積み上げるのみ。

 

大河の、ほんの小さな一滴にしか過ぎない個人がまず考えるべきは、「己を如何に幸せにするべきか」、ということでしょう。

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その手掛かりとなる、あの歌から学び取れる教訓というか、私なりの解釈は、

 

「世に生きづらさを感じているならば、それは自身の中で固着した偏見によるものかもしれない。

自心の寛容性と多様性を育むことが、人生を楽しく豊かにする秘訣である」

 

ということです。

 

我が国の憲法では、生存権が明記されていて「健康で文化的な最低限度の生活」が、無差別平等に保証されています。

これは人類20万年の内、日本においてはたった70年ほどの出来事であります。

 

数多の古人が思い描いてきた理想の生活が叶う、とても幸福な時代に我々は居合わせているのです。

 

それでも何故か、この国の幸福度はそれほど高くありません。

 

その原因の一端も、やはり、これまで散々申し上げてきた「自意識の自縄自縛」ではなかろうかと考えます。

 

人は皆、「幸せになりたい」という純真な思いを持って生きています。

そんな純粋さが時に仇となって、視野狭窄に「幸せの形」を決めつけて、猪突猛進で他のことが見えなくなってしまうことがよくあるのです。

 

いざ、それが叶わないものと悟り、次の歩みへの軌道修正に失敗してしまうと、人は絶望する。

 

自分で勝手に「人生ゲームの敗北者」、「幸せから溢れた哀れな落伍者」と決めつけてしまうのです。

さらに、「敗者は死すべし」という間違った倫理観から自殺に走ってしまう方もおいでになります。

 

日本において推定されている、自殺者が自殺に至った理由は、

若年層においては「いじめ」や「引きこもり」などの「他者からの孤立」が、

中高年層においては、健康問題による自殺を除けば「経済苦」や「職場・家庭内の人間関係」が、

主として挙げられております。

 

「いじめ」や「家庭・職場内」における暴力への対処は別途、議論すべきものです。

健康問題に関しては、日進月歩の医学の発展に期待を寄せることしかできません。

 

ただ、これら全ての事象を心が感受している以上、「鋼のメンタルを陶冶し、強靭な逃げ足を常に鍛錬しておくこと」で、ある程度は予防できると思います。

 

戦略的撤退策の常備、つまり「逃げる自分を許すこと」、「弱い自分を認めること」で自ら命を絶つほどの自己否定から逃れ得るのです。

 

「そんな姿にまでなって生き延びたくない」と思うのか、

「自分の命を犠牲にするほどではないな」と思うこと、

果たしてどちらが正しいのでしょうか。

 

正直なところ、正解は分かりません。

 

しかし、あてどころのないジャングルに迷い込んでも、もしかしたら心優しき現地民から食糧を分けてもらえるかもしれません。

 

360℃見渡して水平線しかない洋上に放り出されても、ひょっとしたら通りかかった漁船に引き揚げてもらえるかもしれません。

 

生きている限り、希望があると思うこと、これが、「自心の寛容性」の効用です。

 

また、「幸せの形」というものにも、振れ幅を持たせる必要があります。

 

「お金がある=幸せ」や「結婚=幸せ」といった、そういう旧来の「最大公約数的な幸せの方程式」を型に押し付け、皆が一様にそれを求める時代ではなくなりました。

 

何故ならば、私たちは「日本のいちばん良い日」に人生を謳歌した親世代のようには生きられないからです。 

 

少子高齢化、物価の上昇、非正規雇用の増加、実質賃金の低下、社会保険料や税金の増額等々……

この国を覆う閉塞感を暗示する言葉は無数にあります。

 

生まれてからこれまで、金銭的・物質的な面で「今日より明日の世界が良くなっている」といった実感はほとんどなく、むしろ悪化しているのではないかと思うばかり。

 

私が入社した会社では、入職後すぐに正社員の定年が60歳から65歳に引き上げられました。

 

実は「定年まで働いて、老後は年金暮らしでセカンドライフ」なんて時代は、歴史的には束の間の出来事で、昔日の多くは死ぬまで働くのが常でした。

 

年金支給開始の繰り下げに歯止めはかからず、恐らく、我々の世代は生涯現役が美徳のように奨励されるはずです。

 

定年延長なんてむしろ有難く、刑期だなんだと茶化せていたことが恋しくなるほどの暗い時代が到来します。

 

新卒一括採用の廃止とジョブ型採用の進展が促されれば、現在の雇用体制は大幅に変革されます。

ただでさえ風前の灯であった終身雇用制度は名実ともに消失することでしょう。

 

従業員の個人事業主化や定年の繰り上げ、退職金の減額は、まさにそういった動きの一環です。 

 

娑婆に放り出された高齢受刑者よろしく浦島太郎状態で、古巣の刑務所に戻りたいと咽び泣いてしまうという悲劇に陥りかねません。

 

つまり、余程の運と才能とスキルがなければ、苦境に立たされることは必至です。

 

そこで、あの歌を誦ずるのです。

 

「自心に多様性を」

 

すなわち、そういった面で「人生の意義」を求めるのを中断し、随時転戦していくことが肝要なのでございます。

 

一時凌ぎではない、自らにとって持続可能性のある仕事とは何か、生き方とは何か、と。

 

上の世代からの押し売り、パターナリズムを真に受けず、跳ね除けること。 

付和雷同に人生の指針を決めていたら、幸せにはなれない時代が到来しました。

 

とはいえ、「自分の心に嘘をついて妥協すること」と「社会から押し付けられてきた固定観念を拒否して、自分の時間を生きること」は全く似て非なるものだと思っています。

 

この二者は厳に峻別し、常に自らに問い続けるべきでありましょう。

 

自己肯定の悪言を捨て、自分の人生にひたすら偽善的に振る舞うこと。

 

「自分のため、人のため、世のため」、歯が浮くような気障な台詞だけれども

前向きな建前を持って精一杯に行動すること。

 

 

これが現代を生きる我々に求められるスタンダードです。

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大変、長ったらしい駄文を羅列しましたこと、お許しください。

 

以上が、私の生い立ち、今までの活動、どんな信念を持って生きてきたのかのあらましの全てでございました。

 

そして、これからは……

 

私は今年で齢24を数え、来年にはとうとう25歳、晴れてアラサーの仲間入りです。

 

「光陰矢の如し」、これまでがそうだったように、きっとこの壮年期も、漫然としていれば刹那に過ぎてしまうでしょう。

 

思えば、私は今まで人生を充実させるための布石をことごとく外し、無碍にして参りました。

 

「生きるのに向いていない」、そんな戯言を抜かしながら、さりとて「死の苦痛も嫌だから」と無為に生きてきました。

 

そんな人間は、生きながらに死んでいて、きっと何者にもなれず、誰とも共鳴することなく、虚空に空音を発して消えていく存在です。

 

「人生は一度きりだから、生まれ変わるなら、生きている内に」と誰かが言いました。

 

ですから、私も人生のやり直しをかけて、生まれ変わります。

 

かつて、私の心を蝕んでいた「誰からも認められない、必要とされない存在である」そういう誇大妄想から逃れられたこと、それを唯一の自信として。

 

人生で一度だけ、「自主的に何かに取り組んだ」という経験、それを唯一の根拠として。

 

今度は「自分は道徳的に劣等である」「無能力者である」そういう、自分の人生を諦めるための言い訳を捨てれるように本気で努力します。

 

果たして、成功するのか、失敗するのか。

 

失敗したならば、情報の下方比較というか「ああ、世の中には下には下がいるんだな」といった具合に、慰み物としてお使い下さい。

 

もし成功したならば。

同じような境遇におかれた方々の勇気づけになれれば、無上の喜びでございます。